名古屋地方裁判所 昭和56年(行ウ)36号 判決 1985年1月30日
原告 高木洋司
被告 愛知県人事委員会
主文
本件訴えを却下する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求める裁判
一 原告
被告が昭和五六年七月六日付でなした原告の昭和五五年一一月一七日付要求にかかる勤務条件に関する措置の要求を認めないとの判定はこれを取消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
二 被告
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 原告は昭和五〇年四月一日愛知県教育委員会(以下「県教委」という)から愛知県刈谷市立依佐美中学校教諭に任命され、昭和五五年四月一日同市立富士松中学校へ転任を命ぜられ、同日以降同校教諭として勤務しているものである。
2 原告は同五五年五月二八日、右富士松中学校への転任処分につき、被告に対し不当な転任処分であるとして地方公務員法(以下「地公法」という)四九条の二に基づき不服申立をした。
3 ところが右転任処分の内申権者でかつ原告の服務監督権者である刈谷市教育委員会(以下「市教委」という)教育長寺田鉦司は昭和五五年九月一三日午前九時三〇分頃、授業中の原告を市教委教育長室へ呼出し、原告の直接の上司である富士松中学校長武田勇夫を同道、立会させたうえ、原告に対し右不服申立の取下げを強要した。
その際武田校長も寺田教育長に同調して原告に対して同不服申立の取下げを勧めた。
4 そこで原告は、昭和五五年一一月一七日付で被告に対し地公法四六条に基づき、次の三項目を内容とする措置要求をなした(以下「本件措置要求」という)。
(一) 原告及び原告の親族、代理人に対し不服申立事案にかかる妨害行為を今後一切行わないよう市教委に勧告すること。
(二) 右寺田教育長(但し昭和五五年九月末退職)は原告に対し、謝罪する旨の新聞広告を出すよう勧告すること。
(三) 右武田校長を懲戒処分し、すみやかに更迭すること。
5 これに対し、被告は、昭和五六年七月六日、寺田教育長が授業中の原告を市教委教育長室へ呼出して面談したこと、この時武田校長が同道して立会つたこと、右面談において不服申立の取下げにかかわるやり取りのあつたことはそれぞれ認められるものの、それは寺田教育長らが原告に対し教師としての自覚を要請したものにすぎず、原告を処分しあるいは原告の親族等に対し圧力を加えることを示唆して右不服申立の取下げを強要したものではないとして、右措置の要求を認めない旨の判定(以下「本件判定」という)をした。
6 しかしながら本件判定は、以下述べるとおり、事実の認定と評価を誤り、ひいては裁量権を逸脱、濫用した違法なものであるから取消されるべきである。
(一) 寺田教育長らが原告を呼出し面談した目的は、右判定の言うが如き「先輩として原告に対し教師としての自覚を要請した」といつたようなものではなく、右不服申立の取下げを強要するにあつたことが明らかである。
すなわち地方教育行政の組織及び運営に関する法律あるいは教育委員会規則等によれば、市教委教育長は市教委における最高の人事権者として、県費負担教職員につき、ごく一部を除いて、広汎な内申権及び服務監督権を有しているが、そのような権限を有する寺田教育長が、緊急な用件でもないのに、平の教員である原告を、授業中に、教育長のもとへ出頭するよう指示し、直接面談するが如きことは、それ自体異例なことであつて、これが原告に対し畏怖と不安感を与えたであろうことは明らかである。
しかも寺田教育長は、六年目研修会を欠席した件、坊主刈りの件、名士講演会の件を一応話題にしながらも、これを早々に打切り「人事の件は取り下げられないか、とことんやつてもどうせ君達に勝目はない。」と単刀直入に不服申立の取下げを勧め、六年目研修の件について「ある筋から君を処分せよと強い要望があり困つている。県教委も強い構えだ。教育長の自分のところで止めているのだ。なぜ君を処分しないと思うか、君のことを心配しているのだ。」と発言し、「いつでもやめさせられるぞ」と処分をちらつかせて恫喝している。
その他、原告が昭和五五年五月二八日不服申立をした後、原告及び「高木君の不当人事を闘う会」の事務局長深津孝重教諭に対し、武田校長から執拗に不服申立を取下げの働きかけがあり、同年九月一三日の右呼出面談の後にも、寺田教育長は同年九月三〇日深津教諭を呼出して取下げ方を勧め、同年一〇月六日にも武田校長が不服申立を止めるよう働きかけている等の一連の経過を見れば寺田教育長が原告を呼出し面談した目的が不服申立を取り下げさせることにあつたことは明らかである。
(二) 仮に、寺田教育長らの意図が不服申立の取下げを強要することになかつたとしても、人事に関する職員の不服申立権は地公法四九条の二により、職員の身分保障の重要な柱の一つとして保障されていること、憲法上も保障されている裁判を受ける権利に通じるものであることに鑑みると、前記のような権限を有する教育長が、不服申立をしている職員をその勤務時間中に教育長室までわざわざ呼出し、不服申立の取下げを勧めること自体その職権を濫用し、職員の不服申立権を妨害ないし阻害する行為もしくはその虞れのある行為と評価されるべきであつて、これに対し当局により適正な措置がとられるべきものである。
不服申立がその後において取下げられていないからといつて本件措置要求が認められなくなる筋合のものではなく、今後同旨の不服申立権に対する妨害ないし阻害行為の再発を防止するためにも適切な措置がとられるべきことは、職員個人の勤務条件上の不服ないし不満の解消を図ることになるに止まらず、職員全体の勤務条件の改善適正化を図るという措置要求制度の趣旨のうえからも当然のことである。
二 請求原因に対する答弁
1 請求原因12及び45は認める。
同3中寺田教育長が原告主張の日時場所において、武田校長を同道立会させたうえ、原告と面談したことは認めるが、その余は否認する。
同6の(一)中寺田教育長の職務権限の点、同教育長が原告に対し六年目研修のことについて注意を与えたことは認めるが、その余は否認する。
同6の(二)中人事に関する不服申立権が地公法四九条の二により職員に保障され、身分保障の重要な柱の一つであることを認め、その余は争う。
2 被告は、本件措置要求が地公法四六条に規定する「給与、勤務時間その他の勤務条件に」関するものかは疑義があつたけれども、措置要求制度の趣旨が労働基本権の代償措置の一環として職員に適正な勤務条件を保障するものであることに鑑み、あえてこれを受理し、判定した。
ところで措置要求に対する人事委員会の判定は、独立した専門的人事行政機関としての人事委員会が、諸要素を考慮したうえ、適正な勤務条件を維持するという観点からなすべきものであつて、その性質上人事委員会に広い範囲の裁量権が認められている。したがつてその判定が違法となるのは判定が右裁量権を逸脱した場合及び裁量権を濫用した場合に限られる。
ところが、原告が本件判定に対して寺田教育長の虚偽の供述に基づきなされたとして指摘するのは、いずれも同教育長と原告の教育観、主観の相違に出たものにすぎないものであつていわゆる事実にかかるものではない。仮に百歩譲つても、不服申立の取下げを強要する趣旨の発言ではない。
次に、同教育長が県教委主催の六年目研修を欠席したことなどについて原告の勤務態度を戒めたことは同教育長の職責に照らして違法でないことは多言を要しない。
また同教育長は昭和五五年九月三〇日をもつて退職しており、同年九月一三日の呼出、面談以外に原告らに対し不服申立の取下げについて話をしたことはない。
以上のとおり、本件判定は手続上も、内容の面でも適法であつて何らの違法はない。
第三証拠<省略>
理由
一 原告がその主張のとおりの経過で刈谷市立依佐美中学校教諭に任命され、その後、同市立富士松中学校へ転任を命ぜられ、同校教諭として勤務していること、原告が右転任処分に対し地公法四九条の二に基づき不服申立をしたこと及びその主張のとおりの事項につき本件措置要求をしたこと、これに対し被告が、原告主張のような理由で、本件措置要求を認めない旨の判定をしたことは当事者間に争いがない。
二 ところで、職員が措置要求できる事項は、地公法四六条に規定されているとおり職員の「給与、勤務時間その他の勤務条件に関する」ものでなければならないとされている。そこで本案の判断に入る前に、本件措置要求が、措置要求の対象となる事項か否かについて検討する。
1 措置要求制度は公務員が争議権、団体協約締結権を禁止され、労働委員会等に対する救済申立の途を閉ざされたことに対する代償措置として設けられたものであること、それ故地公法四六条にいう「勤務条件」とは、労働組合法、労働基準法、労働関係調整法等労働関係法令に言う「労働条件」と同旨に考えてよいことは右法条の立法趣旨に照らして明らかである。
2 そこで右労働関係法令によつて「労働条件」の意味、内容について考察するに、労基法一五条は労働契約の締結に際し、使用者は「賃金、労働時間その他の労働条件」を明示しなければならないと規定しているところ、右労働条件について同法施行規則五条は一一項目にわたつて具体的にこれを列挙している。もとよりこれが労働条件の限定列挙と解すべき根拠はないけれども一応の基準と解することはできる。次に労組法一条は労働者と使用者間の団体交渉の対象事項として、同法一四条は労働協約締結事項として、同法一六条は労働協約の基準の効力を定めるについての前提事項として、それぞれ「労働条件」の語を用いている。特に同法二条において、労働組合とは「労働条件の維持改善その他経済的地位の向上を図ることを主たる目的として組織する団体又は連合体をいう」として、団体交渉及び労働協約締結の主体の面から労働条件とは労働者の経済的地位の向上に関連するものでなければならない旨の枠付けをしていると解される文言を置いていることは重要である。また労働関係調整法四条においても労働関係の当事者が協議又は団体交渉によつて調整すべき事項として「労働条件その他労働関係に関する事項」と規定している。更に公共企業体等労働関係法八条は団体交渉の範囲として一号から三号まで具体的にこれを列挙した後、同四号において「前各号に掲げるもののほか、労働条件に関する事項」と規定する一方、団体交渉の対象となり得ない事項として「管理、運営に関する事項」を掲げている。また地方公営企業労働関係法七条も同旨の規定を置いている。右にいう「管理運営に関する事項」とは、これを一般私企業に当てはめれば「経営権に属する事項」と同義となる。もつとも私企業においては、経営権に属する事項であつても、経営者の自由意思により、団体交渉及び労働協約締結の対象事項とすることは何ら差し支えのないことであるばかりか、現実にもそれが労働者の労働条件と関連性を有する限り、団体交渉及び労働協約締結の対象事項とされているようであるけれども、公企業の場合はその公共性、公益性故に、私企業とは違つて「管理、運営に関する事項」を文字どおり相当厳格に解するのが相当である。
3 次に、本件に即して地公法をみてみると、同法五五条は「職員の給与勤務時間その他の勤務条件に関し、及びこれに附帯して社交的又は厚生的活動を含む適法な活動に係る事項に関し」当局は団体交渉を受けるべきこと(一項)「地方公共団体の事務の管理及び運営に関する事項」は交渉の対象とすることができないこと(三項)を定めている。そしてこれら規定中の「勤務条件」「管理及び運営に関する事項」の意味が前項に述べたところと同様に解されるべきことは言うまでもない。
4 以上の労働関係法令及び地公法の関連規定を考察した結果、当裁判所は措置要求の対象となる職員の「勤務条件」とは賃金給与等はもとより、職場環境等職員が勤務するうえで利害関係のある事項であるとして、これをできるだけ広く解することを承認するにしても、そこには、職員の経済的地位の向上に関連したものでなければならないこと及びそれが人事権、予算執行権等管理運営に関する事項であつてはならないとの制約があるものと解するのを相当とする。
5 そこで、右の見地に立つて、本件措置要求が原告の勤務条件に関する事項か否かについて検討する。
まず、本件措置要求(一)項についてみるに、なる程、不服申立権が職員にとつて極めて重要な権利であり、原告の監督権者等当局がこれを阻止あるいは妨害するが如き行為に出てはならないことは言うまでもないことである。しかし、転任処分に対する不服申立権の行使を妨害されることにより、結果として経済的にも不利な任地に勤務しなければならなくなることが起り得るかもしれないにしても、それは転任処分という当局による別個、固有の処分により生じたものであつて、不服申立権の行使に対する妨害行為とは直接の因果関係はないのである。しかも、不服申立権の行使を妨害され不服申立の機会を失した場合は、不服申立権回復等の措置を別途に考慮されて然るべきものである。その意味において、不服申立権の行使に対する妨害行為は、職員の経済的地位の向上といつた観点からは「勤務条件」とは関連性がないか、その度合は極めて低いものと言わざるを得ない。措置要求制度における「勤務要件に関し」を「勤務の環境一般」あるいは「職員の勤務に関連する事柄一般」というように、職員の一般的な不満の改善要求制度と理解すれば、右妨害行為も措置要求の対象事項となり得るのであろうけれども、当裁判所はそのような見解を採らないことは前叙のとおりである。
なお原告は、勤務時間中に教育長が原告を呼出すこと自体が原告の労働時間等の負担を加重するものであるから本件措置要求は勤務条件に関するものである旨主張する如くであるが、本件措置要求がそのような負担の改善を求める趣旨でなされたものでないことは、本件措置の要求事項の文言自体並びに弁論の全趣旨から明らかであるから、本件措置要求の受理の適否を考えるうえではこれを考慮しない。
次に本件措置要求(二)項についてみるに、そもそも、教育長を監督する立場にある市教委、県教委といえども、職員個人に対し謝罪せよとか新聞広告せよといつたことを命じたり、勧告したりすることはできないことであるうえ、これが勤務条件とも無関係であることは明らかである。
最後に、本件措置要求(三)項は、当局に対し懲戒権の発動を求めるものであつて、そのようなことは法令により当局の権限に委ねられている事項であつて、職員の勤務条件に関連する事項でないことは明らかである。
6 してみると、本件措置要求は、いずれも本来措置要求の対象となり得ない事項につき、措置の要求をしたものであつて、被告はこれを受理して実体判断を加える余地がなかつたというべきものである。その意味で、本件判定は誤つているというほかないけれども、たとえ本裁判においてこれを取消してみても、本件措置要求は被告によつて受理され得ず却下されるべきものであるから、原告らにとつて何ら利益をもたらすものでないことも明らかである。従つて、本訴は訴の利益のないことに帰する。
三 よつて、本件訴えを却下することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 川端浩 福田皓一 佐藤明)